暑さと水
 ロサンゼルス大会(1984年)は男子で瀬古利彦が、そして女子では増田明美がメダル候補に挙げられていた。しかし最高気温が30度近くまで上がり、暑さ対策をしていなかった日本選手は脱水症状となり惨敗した。これを教訓にいかにレース中に体温を下げるかを研究した結果、単に水分を補給するだけではダメだった。汗がベタベタになって層を作り体温を下げることができないのだ。そこで考案されたのが、「水かけ作戦」だった。これは体に水をかけることによりベタベタになっていいる層を洗い流し、また冷水により直接筋肉の温度を下げようというものだ。この作戦が功を奏し、気温32度のバルセロナ大会(1992年)で有森裕子の銀メダルという結果につながった。
 
マラソンの科学、1世紀の挑戦

NHK BS1 オリンピック特集(2004年7月23日放映)より

 アテネで行われた第1回オリンピック大会でのマラソンの優勝タイムは、現在の距離に換算すると3時間9分であった。(初期の大会では距離が決まっておらず、アテネでは40キロであった)その後タイムは飛躍的に更新されて、ベルリン大会(1936年)で日の丸を付けた孫基禎が2時間29分、ヘルシンキ大会(1952年)で人間機関車ザトペックが2時間23分、東京大会(1964年)でアベベが2時間12分、そしてロサンゼルス大会(1984年)カルロス・ロペスが2時間9分と1世紀の間に1時間もタイムを更新したのである。その背景にはどんなことがあったのか、科学的にまとめてみた。

 肉体改造 3つの方法

@カーボローテング
  走るときのエネルギーの素であるグリコーゲンをいかに多く体内に蓄積させられるかということで、考えられた方法である。レースの1週間前から4日間、炭水化物はいっさい摂取しないで、3日前から大量に炭水化物を摂取することにより通常よりも多くグリコーゲンを取り入れることが出来る。生体の反発作用を利用した方法である。
Aストレッチング
  ストレッチングとは筋肉をストレッチ(stretch:伸ばす・引っ張る)ことにより、筋肉をほぐしてやり、ケガの予防にも有効である。テニスは極端な左右非対称運動であるが、プロテニスプレーヤーの伊達公子はストレッチングにより体のゆがみを矯正し、体重を3kgと体脂肪を5%下げることにより、初フルマラソンを3時間27分で完走することができた。
B筋力トレーニング
  マラソンは高速化となり、ピッチ走法では限界がありスピードと距離をかせぐためにはストライド走法適している。歩幅÷身長の関係であるが、ピッチ走法の高橋尚子が86%、ストライド走法で世界最高記録保持者のラドクリフが91%、野口みづきにいたっては98%である。しかしながらストライド走法の欠点は着地の時の衝撃がピッチ走法の1.3倍もかかることだ。これを克服するためには筋力トレーニングが必要となる。野口みづきは体重の1.5倍のバーベルを持ちながらスクワットをしている。

 理想の肉体と作られた肉体
 ミュンヘン大会(1972年)でフランク・ショーターは2位に600mの差をつける2時間12分で優勝した。その強さはランナーとして理想的な体型をしていることにある。

ショーター 平均的な長距離ランナー
体脂肪率 2.2% 7.5%
一定速度で走る時の酸素消費量 55ml 63ml
持続的筋肉(遅筋)の割合 80% 60%

 またショーターはアメリカで初めて高地トレーニングを取り入れ、ボルダーに移り住んだ。
ボルダーの長所は
@高地にある
Aクロスカントリートレーニングに適している
B室内トレーニング施設が充実し、冬場でもインターバルトレーニングができる
Cスポーツ医学の施設が充実している

 しかしながらモントリオール大会(1976年)で大本命視されながら勝てなかった。原因は体脂肪率2.2%という体が寒さに耐えられなかったのだ。この大会を制したのはチェルビンスキー(東ドイツ)で次のロシア大会も連覇した。当時、東ドイツでは国家事業として金メダル獲得を挙げていた。キーンバウムに大規模な連邦トレーニングセンターセンターを建築し、そこでは標高4,000mまで設定できる減圧室など肉体改造設備が整っていた。チェルビンスキーはそこで24時間監視されながら、週に250kmから300kmも走らされていたのだ。チェルピンスキーはどうか分からないが、過去に東ドイツで行われたドーピングのために後遺症で苦しんでいる人は12,000人を超えているという。
 高地トレーニングと血液
 ローマ大会(1960年)と東京大会(1964年)でマラソンを連覇したアベベはエチオピアの標高2,400mの高地でトレーニングをしていた。酸素の薄い高地でトレーニングすると酸素を運ぶ働きをする赤血球を増やすことができる。東京大会のときのアベベの赤血球数は660万/μlであり、ちなみに春夫は488万/μlとアベベが35%も多い。

 インターバルトレーニングの発見
 ヘルシンキ大会(1952年)でザトペックが5,000m、10,000m、そしてマラソンと長距離の種目を独占し、人間機関車といわれた。ザトペックはトレーニングに400m走とジョグ200mを交互に20本走っていた。現在ではインターバルトレーニングといわれるが、心肺機能の強化と最大酸素摂取量を増加する効果がある。

 科学的トレーニング法
 アントワープ大会(1920年)とパリ大会(1924年)の2大会連続でフィンランドの選手が優勝した。当時フィンランドは陸上王国と言われていた。その強さの秘訣はフィンランドでは野山を駆け回るクロスカントリートレーニングが行われていたのだ。これは心肺機能と筋力の強化に効果があり、現在ではポピュラーなトレーニング法である。またヨハネス・パーポヌルミ選手はストップウォッチを用いラップタイムを計測した。そしてペース配分を取り入れた最初の選手である。